★ 佐 賀 駅 ★




高架化以前の旧駅舎。昭和48〜49年の春頃と思われる。
かつての駅前広場は,現在は佐賀駅南口のただっ広い交差点になっている。
高架化の際,佐賀駅は北へ約100m移動したため,佐賀線も約100m長くなった。




佐賀線の写真ではないが。せっかくなので。
昭和48年8月,唐津線(佐賀〜西唐津)のさよならSL列車。




高架化された佐賀駅2番線(現1番線)に到着した,
キハ17系ディーゼルカー。昭和54年。
キハ17系は昭和57年頃まで走り,その後,キハ40系等に置き換えられた。




昭和59年頃の時刻表。1日10往復。廃止対象路線にしては多かったほうかもしれない。
1往復だけ瀬高からさらに鹿児島本線に乗り入れ,羽犬塚まで運行していた。
これは羽犬塚〜黒木を結んでいた矢部線(現在廃止)と共通の車両運用であったため。

5番線に4両編成の唐津線が到着。
2両ずつに分けられ,前の2両はそのまま19時50分発瀬高行きで佐賀線へ,
残されたうしろの2両は折り返して西唐津へ帰っていく。昭和59年。



★ 東佐賀駅〜南佐賀駅間 ★




昭和59年秋,八田江橋梁〜武藤踏切付近。羽犬塚行き。




武藤踏切を通過する下り急行「ちくご」。
長崎〜熊本間を佐賀線経由で結んでいたが,昭和55年に廃止された。
佐賀線内では佐賀と瀬高のほか,筑後大川と筑後柳河に停車していた。




昭和62年夏,廃止後の武藤踏切から八田江橋梁を望む。
小さくて見えにくいが,八田江橋梁を撤去する黄色いクレーンが見える。



★ 南佐賀駅 ★




昭和47〜48年頃。南佐賀駅に停車中の9600型SL上り貨物列車。
南佐賀駅にはガソリンタンク用の引込み線があり,貨車の入れ替え作業が行われていた。




昭和59年。南佐賀駅には無人駅ながら国鉄の無線中継所があり,
コンクリの建物&鉄塔で,他に高い建物も無かったので結構目立つ存在であった。
が,廃線後,いつの間にか消えてしまった。




昭和61年冬。廃止直前・国鉄末期の頃。
朱色から白地に青帯に塗り直された「JR仕様」が既に走っていた。



★ 南佐賀駅〜光法駅間 ★




ぐにゃぐにゃの細い鉄路を,オンボロディーゼルカーは空気を乗せて走り去った。
昭和59年。



★ 諸 富 駅 ★


諸富駅は,佐賀市のとなり「もろみ」町の玄関口だったが,駅名は「もろみ」であった。
また,佐賀駅を出てから初めての行き違い可能駅&有人駅であった。



昭和59年頃の諸富駅時刻表。
佐賀駅から所要約15分。1日3回,ここで列車の行き違いがあった。
1日1本片道だけ,そのまま唐津線西唐津まで通しで乗れる列車があった。




佐賀の名山,天山を見ながら出発する上り列車。
3両編成なので羽犬塚から来た列車だと思われる。




到着した下り羽犬塚行き。親子連れが降りた。




昼下がり。列車も人も来ない上りホーム。




腕木式信号機に,タブレットを持った駅員さん。
当時はローカル線なら当たり前の光景だったが,
合理化の進んだ今ではもう絶滅寸前になってしまった。




黄昏どきの上りホーム。久々の上り列車だ。




刻々と夕闇が迫る。




そして日が暮れる。上りと下りが行き違う。



★ 筑後川可動橋 ★





諸富〜筑後若津間で筑後川を渡る。
筑後川には,開通当時東洋一と言われた可動橋が架かり,佐賀線車窓のハイライトでもあった。
中央から少し若津寄りに可動部分があり,操作のため鉄橋上に有人の筑後川信号場が設けられていた。
信号場へ行くには,筑後若津駅から徒歩で鉄橋を歩くほか無く,
また,列車が通るとき以外は可動部分は上げられていた。
筑後川花火大会の時は,列車も鉄橋上で一時停車するなど,粋な計らいもあった。
廃線後,撤去の話も持ち上がったが,このシンボル的存在は,
地元の懸命の努力により,現在は人道橋として保存・活用されている。


※ 筑後川可動橋の写真はもっとあるはずだが,
まだ未整理の部分もあるので,整理が済み次第,追加する予定。
有名なスポットなので,それまでは他のサイトを見てください。(笑)


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